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2017年3月23日木曜日

シン・ゴジラ「批判」。つーか、嫌悪の表明。


 おもしろい。でも嫌い。
 青木無常でありますよ。

屋上(素材)


 観にいってはいたんですよ。『シン・ゴジラ』。

 おもしろさはあいかわらずのさすがの庵野監督らしく極上だったし、別に絶賛とかしてもいいくらいには楽しめたんですけど。

 最近、映画の感想はもとより読書録もほぼやってないんですが、ぢつをいうとアレやるとかなり時間とエネルギーを消耗する割に反響がまるっきりないんで(ほかの記事で反響があるわけでもないんですが(`▽´))。

 ただ、山ほど気にくわない部分もありまくりなのに、私の視界に入る範囲では批判とかまったく見かけない現状があまりにも業腹なので。

 昨日のヘビ玉のくだりで触れたついでに、ちょいとだけ言及しておこう、と。ちょいとだけ、ね。

 要約すると。

 カスのような、極上の娯楽映画。もしくは、庵野秀明そのもの。


怒(素材使用)


 なんか『シン・ゴジラ』の批判すると「わかってないヤツ」とか「おまえごときに」とかしたり顔で鼻で笑われそうでイヤなのも事実なんですが。

 でも、だれもかれもが絶賛しかしない(と私には思えている)現状は、あまりにも気持ち悪いし、むしろバカじゃねえの? と鼻で笑い返したい気分も横溢していたりするし。うん。バカじゃねえの?

 日本アカデミー賞だかなんだか独占する勢いでいろいろ各章受賞してたりと最近もニュースになっておりましたわよね。バカじゃねえの?

 新海誠監督のアニメがやっぱり大ヒットしたのも、気持ち悪い部分があるけどね。

(いや、あのアニメも極上におもしろかったし、あれは好きでもあるんですけど)



牙(素材)


『シン・ゴジラ』って。

 いってしまえば、庵野秀明映画の典型以外のなにものでもない。

 よい意味でも悪い意味でも…というよりは、清濁表裏一体といったほうがもしかしたらいいのカモですが…



 おもしろさでいえば、極上。

 まさしく絶賛されているとおり、日本国政府が巨大不明生物の脅威とアメリカの核投下の暴挙を向こうにまわして対処する、という退屈そうなストーリーをあそこまでおもしろく描ける庵野監督の手腕はあいかわらず孤高の壮絶さ。



凝視(素材)


 でも。

 好きか嫌いかでいえば、まちがいなく「大嫌い」。

 これも庵野映画の巨大な特徴でございます。

 ま、正直いえばどの「ゴジラ」も不満な部分は必ずあるといっていいくらいだし、その意味でいえば正解そのものがそもそも存在しないといってしまっても間違いないんですけどね。

 それでも、あんな不快なゴジラは初めてだ。

 敵怪獣ならぬゴジラの三段(四段?)変身、ラブカと揶揄(それとも自虐?)されるクソそのものの造形の初期形態と、ゴジラの「精神」の原点を体現したつもりとおぼしき「怖い」異生物の造形そのものである最終形態。

「ゴジラ」でなければ、あの造形も生態(の謎さ)も見せかたも、すばらしいといってしまってもいいんですがね、逆に。

 こういう批判が噴出するだろうこと自体、庵野監督は予想していた、というよりむしろ煽っていたのではないかとも思われますけど、別に彼の手のひらの上に乗っているつもりもない。

 つーより、庵野秀明はそういう批判をおそらくは自覚的に恐れているがゆえに。

「だからこそ」の、わざとそういう批判が噴出しまくるような「つくり」にしたのではないかと思います。

 …否、断定しちゃおう、まちがいなくそれ以外のなにものでもない。

 そういう批判が出てこなかったことが(それとも、私の目にとまらないところで出てたりする?)、むしろ彼の精神にさらなるストレスを与えていなければよいのですが? むしろ。逆に。むしろ老婆心を惹起するほどに。むしろむしろ針のむしろ。なんのことか。(`▽´)

 ゴジラのデザインは庵野さんじゃねえよとかそういう焦点のズレたご指摘も無用ですよ。

 雛形やコンセプトスケッチがどうこうとか成立の経緯とか(「背びれのある怪獣」とだけ伝えられていた云々とか)いう話ももちろん無用。わかってていってます。




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 だからこそ。

 ゴジラの最高峰は第一作、などと能書きを垂れるスノッブな評論家様(もちろん凡百凡億の素人も含む)は手放しで褒めるしかないっしょ。あの映画は。



 あいにくだが私が最初に見た怪獣物語はウルトラマンやセブンであり、たくさん存在するその亜種であり、当時はかなり頻繁にテレビに流れていた再放送や映画のテレビ放送のたぐいであります。

 怪獣映画とか番組とかそれらの再放送なんて当時は、うんたらロードショーで地上波初放送! とかそういうお題目とはまったくの無縁で、かなり気軽にチープに夕方とかに流れてたりしましたからね。たぶん。私の記憶では。

 ゴジラ映画は映画館でみたのは、ミニラなんかが活躍するお子さま映画化による堕落以降のくだりだったと思いますけど。

 たぶんそれ以前に、かなり気楽にテレビで見たものが最初だったんじゃないかという気がする。

 なにぶん子どものころの記憶なんで、確たるモノではござーません。

眼(素材使用)


 劇場で見たのはたぶん、東宝チャンピオンまつりあたりの『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』とか『ゴジラの息子』とか『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』あたりの、今のみならず当時でさえ子ども向けの作り(によるチープさ)が目立った「ファミリー化」以後のゴジラだったような。

『怪獣総進撃』は、時期的に映画館で観た可能性もあるけど、記憶としてはテレビでチープに観たのが最初のような気もする。

 総進撃は今でも大好きだし、当時も熱狂してましたけどね。

 そんな総進撃とか地球最大の決戦や、逆襲や対コングなどと比べれば南海の孤島や空想と明示された舞台でのファミリー映画はやっぱり数段オチるな、と子どもながらに感じてはいたものの。




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 第一作を初めて見た観客が感じたであろう衝撃とは正直な話、私は無縁です。

 そういう意味で「原点」なんざ知らなかったし、第一作をみたときも、「教養」以上の興味はあまりわかなかった。

 むしろ筋とかも覚えなかったし、退屈に感じていたくらいじゃないですかね。

 認めたくはないけどね。

 第一作のモノクロの画面は、総天然色の、昼間に岩山とかで対決するシーンを見慣れていた目からすれば、不鮮明だし当時ですらスピード感に欠けている、と感じていたくらいじゃないかな、とか。

 子どもの私には、ストーリーとか社会性とかメッセージとか、どうでもいい話だったはずだし。



爪(素材)


 だからといって「原点」回帰を謳って失敗した諸作に対しては失笑を禁じ得なかったし、逆に庵野監督の「骨太」で「孤高」の『シン・ゴジラ』にも首肯する気にはなれない。

 ゴジラの設定や造形(段階変身ももちろん含む)、そして何より火炎や「熱線」を放射する際の、下顎がぱっかり割れる醜悪さを強調した「放射形態」も、さらにエスカレートした背びれ全体やしっぽから「死の光」を放散するギミックも。

 単純に、そこまでやらないと安心できない(つーより、そこまでやってもおそらく結局安心できなかったんじゃないかってのは、邪推かね? 庵野さん)庵野秀明の自虐的かつ挑発的選択としか思えなかった。

 ゴジラの文脈をおとなしく踏襲する映画なんか作る気ありませんけど、何か?

 とか内心怯え切りながら口にすることすらせず映画に「語らせる」庵野監督の自己矛盾を内包(かつ自覚)した、ねじくれまくったスノッブ感が爆発しているとしか思えなかった。



 だからって勘違いしないでほしいんだけど、あの映画がダメな映画とかいうつもりも毛頭ない。

 ちゃんと冒頭でおもしろさは極上であることは表明しているので、そのへん勘違いしないでくださいね。(^_^)



 ま、日本以外じゃ低評価かつ低興収らしいって話も、別の意味で切歯扼腕な相矛盾した感覚はございますけれどもね。やれやれ。(`▽´)



背(素材)


 ただ、少なくとも「邦画界」においては、私に見える範囲ではだれもかれもが絶賛の嵐で、あの映画を貶すのは「わかってない」人間だとでもいいたげな状況があまりにも気にくわないので、そのうち吐き出したかったの。



「ゴジラ」でなければ、手放しで褒められたんですがね。



 あれは、ゴジラではない。

「ゴジラ」という定型に、真正面から異をとなえることでしか語れなかった庵野秀明自身の「ゴジラへのこだわり」があまりにも醜悪な、文脈否定映画であります。

 マドンナが出てこない寅さんとか、寅さんじゃないっしょ。そゆ意味。その映画がおもしろいか否かとは、まったく別の話でもありますから。



睥睨(素材)


 ま、その意味でいったら。

 本家本元、第一作の「ゴジラ」そのものがすでに、私のいう「ゴジラ」の定型というスケールを否定する「極太」そのものの作品である、という根本的な矛盾が生じてしまう顛末は、内緒にしといてくれ。( ̄ー ̄)



 庵野秀明ほど偉大で卑小な物語作家、たしかに唯一無二。

 映像の幻視力のすさまじさという点では、もはや批判する余地すらカケラもないこともまた腹が立つ。(`▽´)

 ま、要するにうらやましくてしかたがないってのが、本音でもあるんですがね。ふふふん。



 さらっと触れるつもりでいろいろ噴出してしまった「てい」だけど(^_^;)、対象がそれだけの巨大さを内包した人だからこれでもかなりさらっと触れただけなんですよ。



出現(素材使用)


 アメリカ版ゴジラはおいといて、本邦今後だれがどう「ゴジラ」に関わるのか関わらないのかも楽しみではありますね。

 平成ガメラのひとつめとふたつめみたいに、ふつうに向き合った上で現代の洗練や知識や手法を盛り込んでいけば充分以上に「快い」伝説化を目指せると思うんだけど。

 ま、その手法であれだけのヒットを飛ばせたかというと、確かに疑問ではありますね。

 ヒットしたのは、偶然だったんじゃないか、とは思うけどははは。



 だれかおれに次のゴジラ作らせてくれよ。本日は以上。
 最後まで読んでくれてありがとう。
 それでは、また~(^_^)/~~






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