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2016年6月19日日曜日

心からのおめでとう


 いや、皮肉でもなんでもなく、本当に心から。
 青木無常です。

咲くものは(素材)


 指原莉乃が第8回48G選抜総選挙で一位を獲得しました。

 これは昨年に引きつづきの二連覇でAKB48グループ史上でも初の快挙。

 ですが、もっと驚くべきなのはその得票数。

 二位の渡辺麻友が17万票以上の数字ですが、指原の得票数はそれに圧倒的な大差をつける24万票超。

 渡辺の数字は去年の指原の票数にも達していないので、これは完璧な敗北といっていい。

 どこぞの大金持ちがだれか一人につぎこんだとかどこぞの国の票がだれかに集中したとかそういう話はもうかなり以前から出ているものの、この得票数と差はもう、そういうレベルを超越している。



 以前、私は「指原に一位は似合わない。(`▽´)」と放言した

 撤回するつもりはないものの。

 当時はそうだったのかもしれないが、今年の総選挙の壇上で堂々と、己のスキャンダルやそれをとりまく状況を、自嘲するでもなく冷徹に分析し言及しネタにして会場を盛り上げてみせた指原莉乃には。

 偶然とタイミングのフロックで悪夢のように一位がころがりこんできた当時の指原莉乃の片鱗すら見られない。

 その立ち位置以上の堂々とした王者ぶりを全身からにじませていた。

 もはや、これ以上一位が似合う人間はいないといってもいいくらいの貫禄をただよわせていた。



未来(素材)


 総選挙を茶番と揶揄する向きも多数存在するだろうし、そのいいたい感情も充分に理解できるが。

 そういうやからには、おまえらああいう場に立って順位づけというすさまじく現実的で冷酷な査定にさらされる勇気がカケラもあるのか? と問いたい。

 おそらく揶揄する大半のやからはそういう場にすら立たせてもらえないだろうし、仮に運よく立つことができたとしても「自分には関係ない」という無気力な他人事感にどっぷりとひたりながら時間を浪費するのがせいぜいだろう。

 そして実際に、まったく無関係以外のなにものでもないわけだ。

 そんな、
らせてすらもらえない輩が「アイドルなんてしょせん踊らされてるだけ」と冷笑するさまそのものがこっけい以外のなにものでもない。



 会場で発表をきいている多くの48Gのメンバーたちも、それに近い感覚でいる人間は少なくないのかもしれない。

 だが頂点を目ざして真剣に日々しのぎを削ってきた面々は、そんな怠惰や諦観をはるか足もとにおきざりにして日夜走りつづけている。

 そしてその頂点を争う一群のさらされている経験値は、一般人などという呼称に属する有象無象とは比較にならない重圧や状況の脅威に刻々打たれ磨かれ上昇の一途をとどまることはあり得まい。



 指原莉乃はその頂点にいくたび返り咲くか。

 揶揄されてもあがめられてもくさりもおごりもせずに(いや、多少はくさりもするだろうしおごってもいるだろうが)着々と地歩を築き走りつづけてきたその持久力には賛辞を惜しまない。



希求(素材)


 これも以前の話。

 私は、指原莉乃がそのうち大ポカをやらかすだろうと予言した。

 予想に反して指原莉乃はおおむね賢明に、懸命に芸能界での立ち位置を確保し上昇しつづけてきた。

 無根拠に「大ポカ」などと揶揄したわけではないが、己の不分明にいささか気落ちの感は否めない。



 人間というのは、欠けているものをおぎなおうとあがく生きものである、と私は思う。

 動物であればそれは、肉体的な「飢え」というきわめて本能的・日常的かつ即物的な欠落の補填に終始してその生涯を終えることになるのだろうが、日本という都市に生きる人間という種は、そのレベルにとどまってはいない、と。

 不幸なことに。

 そう。
 それは大半の場合、不幸と同義語である。

 日々苦悩と絶望にさいなまれながら狂おしく希求するその「欠落」はさまざまな形に分類され得るが、究極には「愛情」という目には見えないはなはだあいまいなシロモノにほかならない。

 その欠落を埋めるためにあるものは酒に、あるものは食べることに、あるものは賭けごとや勝負ごとなどの強烈きわまる刺激に、そして性や薬物やその他の無数の愚劣な行為に。

 そして大半は、家族などの(不毛な)人間関係に。

 耽溺しつづける。

 不毛な、としたのは、家族や人間関係が不毛であるから、というわけではない。

 欠落を希求する限り、それは不毛に直結しているということである。



 指原莉乃の以前のスキャンダルの内容に、その「欠落」のにおいを私は強烈に感じた。

 この手の「欠落」の希求は理屈ではない。

 知識や賢明さや経験値では埋められるたぐいのものでもない。

 狂おしく求めてしまうものである。

 だから、どれだけ気をつけようと自分を律しようと、どうにもならずに必ず噴出する愚行に直結している。

 …と私は考えている。

 だから、必ず「大ポカ」をしでかす。と断言したわけである。



 それがまったく現実化するきざしすらないのは、私の見識が低いせいかもしれないが、指原莉乃というペルソナがきわめて自分を律することや自分を客観視することにたけている、という可能性も考えられる。

 ま、単なる偶然の可能性も充分に存在するような気もするけどね。(`▽´)



木漏れ日の中で(素材)


 ブログで言及するのはけっこう以前からやめているが、私はいまだに48グループというコンテンツに耽溺してやまない。

 その興味の焦点から指原莉乃という存在は、これもかなり以前から外れてはいるものの、その存在感は圧倒的だし、あまり口にしないようにしてはいたが、別にきらいになったというわけですらない。

 気がかりなのは、指原の存在感が、特に今回の総選挙を機にして突出しすぎてしまうことだ。

 彼女の「1位」と、渡辺以下の順位の意味あいはすでにまったく次元を異にしているように思える。

 それだけに、票数の差異が懸念される。



 怪物的に成長した指原莉乃という存在に比肩し得る「タレント」の出現の有無が今後のグループの盛衰の焦点となることはもはやまちがいあるまい。



 個人的には、渡辺麻友も松井珠理奈も山本彩も、柏木も宮脇も兒玉も決して負けてはいない…

 …と思うんだけどね。



 あと全体的には総選挙とじゃんけん大会という年中行事化したイベント、つまりある意味マンネリ化したイベントにかわる何か巨大な仕掛けが出てきていないのがグループ全体の勢いを減速させる、大きな懸念要因のひとつなんだよね。

 悩ましい。



160619花(素材)


(意図的ではあるものの(^_^;))話がそれたので、最後に指原莉乃に焦点を戻しておこう。



 もしかしたらわれわれは、芸能史に残るタレント(文字どおりの意味での「タレント」)の生誕に、気づかぬうちに立ち会っているのかもしれない。

 以前から私は指原が和田アキ子クラスの大物になる可能性を嗅ぎとっていたのだが。

 とんだ見込みちがいだったのかも、と。思わせられるのである。



 和田アキ子のような、とか。

 あるいはたとえば黒柳徹子のような、とか。

 失礼きわまりない見解だったのかもしれない、と遅まきながら突きつけられた気分なのである。



 われわれは、立ち会っているのではないか。

「指原莉乃」という不世出の才能が開花する長いながい過程の、まさにそのただなかに。



 ま。
 この青木無常様がここまで断言したのだから、中途半端な立ち位置で芸能界を引退とか、そういう腰くだけな結末だけはご遠慮願いたいところだな。>指原。( ̄ー ̄)



満開の(素材).


 というわけで、本人の希望どおりの言葉を送る。

 すなわち、指原莉乃への。

 心からのおめでとう、を。



 いや。

 くりかえすけど、皮肉でもなんでもなく、なんの裏もない「おめでとう」でございますよ。本気で。(^-^)



 世界や世間と同じように、私も含めたすべての個人もまた流れつづける。



 その流れが、自分でまきおこしたものとなるべく画策しつつ、本日は以上でございます。
 最後まで読んでくれてありがとう。
 それでは、また~(^_^)/~~




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